多元主義（pluralism）
◆沿革
□「思想史的にみて、多元主義は、18世紀に、モナドロジーを唱えたライプニッツや言語の違いに根ざした文化の多様性を説いたヘルダーにまで遡ることができようが、特に20世紀において、W.ジェームズが、ヘーゲル主義の一元的な世界観に対抗して1909年「多元的宇宙」論を唱えて以来、英語圏で有力な潮流になった。特に、政治学の領域で、多元主義は、全体主義やマルクス主義の一元的な世界観や価値観に対抗する民主主義の基本的な世界観や価値観として標榜されたのである。とはいえ、そこで多元主義は、哲学的深みをもって論じられた・・1030 とは言いがたい」（山脇［1998：1030-1031］）
◆各論
・倫理学
□「倫理学では、多元主義は、道徳的世界が一枚岩の予定調和の体系であることを否定し、何らかの単一の根本価値に還元不能な複数の独立した諸価値の葛藤・相剋を承認する価値多元主義を意味する」（井上［2006：575］）
□「倫理学的な多元主義は他の多元主義の論拠として援用されることもあるが、論理必然的にこれらを含意するわけではない」（井上［2006：575］）
・政治学
□「他方、政治学ではそれは、かつてな国家を社会の中に共存する様々な組織・集団・制度の1つとして相対化する多元的国家論を意味したが、現在では、私的利害関心を超えた公共的価値への献身による連帯を重視する共和主義の対立概念として位置づけられ、多様な社会集団がそれぞれの特殊利害や党派的価値関心を自由に表出して競争し、交渉によって妥協する場として民主政を捉える立場（利益集団多元主義とも呼ばれる）を意味する」（井上［2006：575］）
・法学
□「法学では、倫理的・政治学的意味に加え、同一の社会において複数の異なった法体系（継受法と土着法、世俗法と宗教法、国家法と部分社会内部の「生ける法」など）の共存・棲み分けを図る法多元主義の意味でも多元主義概念が使用されている。法多元主義は多元的国家論と密接な関連をもつ」（井上［2006：575］）
◆価値多元主義1：価値相対主義の否定
□「価値多元主義は価値相対主義ではない。価値相対主義は客観的価値の存在を否定し、人々の対立競合する価値観をいずれも主観的・恣意的なものとみなすが、価値多元主義が価値の相剋を主張するのは客観的妥当性をもつ価値が複数存在することを承認するからである。いかなる価値も客観的に妥当しないなら、価値の相剋が孕むディレンマに人は悩む必要なく、自分の選好に従えば済む。価値の多元的・・575 相剋のディレンマ（あれもこれも立てなければならない）を解消してしまう点では、単一の価値を絶対化する価値絶対主義（これだけ立てればよい）も価値相対主義（どちらでも好きなものを立ててよい）も差異はない。［…］価値多元主義も、相剋する価値の間での選択の不可避性を認めるが、選択されなかった価値の客観的妥当性を否定するわけではなく、いかなる選択も客観的価値侵害を伴わざるをえないという意味での価値相剋状態の倫理的悲劇性を強調する」（井上［2006：575-576］）
◆価値多元主義2：論理的矛盾ではなく、事実的な両立困難さ
□「価値多元主義による価値の相剋・葛藤の主張は、対立する価値判断の間の論理的矛盾の主張とは異なる。論理的に矛盾する価値判断を同時に主張するならば、矛盾律の否定は一切の命題を証明可能にしてしまう［…］から、すべての価値判断を真とするなんでもござれ（anything gose）式の無差別相対主義に陥り、倫理学説として自壊する。矛盾律に従うなら、どちらかが偽であるため、価値相剋の存在が否定される。したがって価値の相克は論理的矛盾ではありえず、むしろ価値の同時充足の事実的不可能性を意味する。例えば、自由と平等はともに客観的に妥当しつつも相剋するが、両者は論理的に両立不可能ではなく、両者の要請がともに充足されるような理想的な可能世的世界は存在する。しかし、現実世界はそれとは異なり、現実に人々が置かれている生の条件の下では、この2つの価値を同時充足することが事実上不可能であるために、価値の葛藤が生じるのである」（井上［2006：576］）
□「現在の価値多元主義者の間では、諸価値の概念的緊張関係を論理的両立不可能性としてではなく、相剋する価値の規範的な重みを比較査定する共通の尺度の欠如という意味での価値の「通約不可能性（incommensurability）」として理解する立場が有力である。それによれば、例えば、時に慎重さに欠けるが勇敢に困難な課題に挑戦する生き方も、勇敢さに欠けるが十分に気配りをして慎重に生きる人生も、2つの徳を完璧に実現した理想的人生に比べれば劣るが、この現実世界の中で限られた一回限りの人生を生きる具体的な人間の生き方としては、それぞれに自堕落な人生よりも価値あるものである。しかし、いずれがいずれに勝るとはいえない。両者は等価なのではなく、相互に比較できない価値を持つのである。この種の価値多元主義によれば、価値ある生き方は1つではなく、多様な生き方が通約不可能な価値をもつが、かかる価値をもつものと承認される生き方は一定の範囲に限定され、価値なきものと斥けられる人生も存在する」（井上［2006：576］）