陸奥宗光（むつ・むねみつ 1844-1896）
□「然れども人類の情欲たる多端といふべし、若し其利害得失を選択せず、一概に之を享受せんとすれば、啻々法律と道徳の効力相及ばざるのみならず、却て情欲互に撲滅して之を缺損するに至らんとす、故に智慮唯々能く一の情欲を通暢する為めに他の情欲を制限し、軽重其権衡を失はず、大小其程度を誤らず、以て人類をして一般に少苦多楽の境に達せしむべきなり、法律を制・・264 定し道徳を結構するは、即ち優者の任にして、優者必ず多智なり、故に優者之を制定し、劣者之に従属し、以て法律と道徳との特権を生ず、然りと雖、人類の当初皆是れ平等の権利を有す、而して其各自の情欲たる又其所獲に任かして、毫も之を制限するあるなし、而して人類亦各自の情勢あり、両人既に其情を異にす、況や億兆焉ぞ其同情を保つを得んや、然れば則ち優者何の術か果して能く人類をして其法律と道徳の範囲に棲止せしむるや、他なし、人類平等の権利なりと雖、然れども智愚其品を異にし、勇怯其科を同ふせず唯々優者獨り之を能くして劣者之を能くせざるものあり、是れ即ち劣者の優者に従属する所以なり」（247）
□「優者は多智多能なりと雖、如何にして其所謂法律と道徳とに特権を附與し、劣者をして之に従属せしめたるか、曰く人類行為の一自由を奪ふて自餘の自由を堅くせるなり、之を直言すれば、人類の一行為を禁じ、名づけて以て罪悪と做し、之を犯すを悪人とし、犯さゞるを善人とす、故に法律と道徳とは先づ人類の行為中に於て一個の罪悪を作成し、始めて其特権を有すといふべきなり、此を以て之を観れば、法律と道徳とは即ち人類平等の権利を侵し、又人類行為の一自由を奪ひ、又人類行為の一部を禁じて之を罪悪とせるものなりといふも亦不可なきなり、然らば則ち其之を制定するや、必ず幾分か人生の快楽を減じ、幾分か人生の苦痛を生ずるに非ざるなきを得・・247 んや、故に政治家も道徳家も、其之を制定するに当りてや、十分に其智巧を盡し、人類情欲の軽重大小を推量し、務めて其心算★を誤まるべからず」（247-248）
★ 心算（moral arithmetic）
△キーワード：法 権利 自由 権力
●陸奥宗光、―――「小伝」陸奥［1929：747-775］
□「是れ明治元年正月十一日の事にして余が生来始めて身を責任ある地に置き国家の公務に與かるの第一初歩なりとす」（752）
△キーワード：責任